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杉森典子:その新聞は昭和20年の天皇誕生日、天皇節の時の新聞で、その頃の新聞は天皇の記事については右上に写真を掲載し、体を切れてはいけないとか、色々なきま
りがありまして、でまた、あの、今ではもう使われなくなってしまった難しい漢語を使っての特別な敬語なども使われておりました。で、それはもう戦後は簡略
化されまして、で、天皇誕生日の記事についても社会面の下の方っ
ていう風に第一面じゃないところに掲載されるという大きな変化がおこっているんですけど も、えっと、このような変化についてどのように感じていらっしゃるでしょうか?まずその記事をみてどんな感じをもたれますか?
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秋本やす子:この頃は、あの、天皇陛下というと生き神様のように扱われておりましてこれが当然のように私たちも思っておりました。けど、まあ今というか戦後はね、あ
の、人間宣言以後は、ああ、第何面というね、新聞の記事の扱いにもなりましたりして、こうゆう古い新聞をみると半ば懐かしいような、あの、思い出しており ますね。はい。
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杉森:でその頃戦時中はどこで何をしていらっしゃいましたか?
秋本:うん、あのそうですね、戦時中というか、今でも思いだすのは昭和18年ぐらいの時でしたか、あの、12月8日というと、日本が米英に対し宣戦布告した日な
んですよね、それを大詔奉戴日といって全日本の各学校とかね、あの行事がありまして、我が校でも氏神様である湊川神社へその日参拝することになっておりま
した。全校ず~っと隊列を組んで、あの、校門を潜って湊川神社に参拝しましたね。ええ。そして、私忘れられないのが、あの、その時ちょうど、う~ん、そのときはね、湊川神社参拝にもあの、臣下としての礼儀作法があることがしらないで、あの、校長先生は、あの湊川神社の階(きざはし)をね、いくつもある長い
00:03:00階段を、あの、端のほうからあがって、拝殿に向かわれたんですが、私はちょうど前に立っておりましたところが階段ですからまっすぐにあがっていって玉串を捧呈(ほうてい)したのです。そしてまあまあおわって、学校へ戻ってきました時になんか職員室でちょっとあの話があったんですよね。校長先生からのね。そ
00:04:00れをちょっと聞いてきたクラスの友達があの、大変大変ゆうて報告してくれたんです。それは私が真ん前の、真ん中の階段をあがったことがいけなかったんで
す。その真ん中は、天皇陛下だけが、あの、通られる真ん中の道だって、そう思えば、校長先生は端のほうを階段上がっていらっしゃいましたね。そういうこと知らないで、あららどうしましょうと思ってね、あの急いで職員室に行って、教頭先生がいらして、あの先生申し訳ないこといたしましたって話しましたら、あ
00:05:00の、教頭先生は、いやいや実は私もそうゆうこと知らなかったって、校長はなんでもご存知だってゆっていられまして、あの、端から、あの、作法の先生が、だ
から私が校長先生のなさる通りにしなさいよといったのにというお言葉をいただいて、ああそうだったかなと思いながら、もう今になっては、あの、なんとも言
えない気持ちでしたね。でも心のどこかでは、あの、重い気持ちを抱いておりましたけども、昭和20年でしたか、1月あたりの天皇人間宣言という新聞の記事 を見て何か心が安らいだ、ほのぼのとしたね、あの、心が明るくなった感じをしたことを覚えております。はい。
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杉森:それは、えーっと、昭和18年の思い出だと思うんですけどあの昭和20年の頃はどうしていられましたか?
秋本:昭和20年、あの、昭和19年の8月15日が終戦で、あ、昭和20年はやはり役場に勤めて、あの、疎開先の兵庫県の淡路島に、あの、広田村という、あの、淡路島の真ん中ですが、そこの村役場に勤めて、戸籍の事務をとっておりました。はい。
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杉森:その頃、新聞は読んでいらっしゃいましたか?
秋本:ええ。あの新聞でしたっていう、神戸新聞だったかなあ。はいはい。忘れましたけれども読んでいました。
杉森:お家でとっていたんですか?
秋本:そうです。はい。
杉森:えっと、それでは、現在の皇室報道についてなんですけれども、例えば、イギリスのチャールズ皇太子が日本にきて、来日された時なんかだったら、チャールズ皇太子は、あの、皇太子様はチャールズ皇太子にあわれたという風に報道されて、あの、日本の皇太子にだけ様を付けて、それでええっと、イギリスの皇太子 だったらチャールズ皇太子って言う風に様がつかないような報道になっております。
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秋本:ああそうでしたか。
杉森:であの、そんなことについて日本の皇族にだけ様をつけてるこの報道に海外のメディアから批判が来てるんですけど、そうゆう日本の皇族にだけ敬語をつける報道の仕方についてどう感じておられますか?
秋本:そうですね。いってみればお客様ですからね、やはり先方を先に立てなきゃいけませんのに、ああ、ちょっとまずかったでしょうかね。はい。
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杉森:じゃあどうしたらいいと思いますか。
秋本:はあ。新聞社の誤りでしょうかね。はい。
杉森:えっと、普通敬語は目下の人が目上の人に使うと思うんですけど赤ちゃんだったら、皇族の人にも、人には、愛子様という風に様が使われております。でも、普
通の人の赤ちゃんには新聞で報道されることがあっても、多分様とかはついてないと思うんです。で、例えば同じ面に二つの記事があって、一人の赤ちゃんには
様がついてて、一人の赤ちゃんには様がついてないと言うことが起こりうると思うんですけど、そうゆう、ええ、言葉の使い方、敬語使いの不平等といいます か、ええと、違いについて、どのような感じを持たれますか?違和感とかありますか?
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秋本:そうですね。うーん。やはり小さい子でしたらば、なになにちゃんとか、なになにくんとかあってもいいんじゃないかと思いますね。はあ。
杉森:あの、皇太子妃雅子様のお父さんの小和田さんが雑誌のイ
ンタヴューなどで答える時に自分の娘に会ったこと、ということを話すのに、妃殿下には先月お目にか かりましたという風に敬語を使ってそれを表現しています。そうゆう敬語使いに違和感とかありませんか?どう感じられますか?
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秋本:そうね。なにかちょっと、あ~、嫁いだ先が天皇家であっても自分の我が子だからね。う~ん。それでいいのかどうか知りませんけど私は、あ~、そうゆう習慣だったんでしょう。はあ。
杉森:それでは、最後にこれだけは言っておきたいというなこと何かあったらお話して頂けたらと思うんですけども。
秋本:あの、皇族のことですか?
杉森:言葉遣いでも、戦争でも、敬語でも何でもいいんですけど。
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秋本:はあはあ。そうですねえ、う~ん、とにかく、戦争が終わったという時はもうとても明るい気持ちになりましたね。はいはい。弟が復員(ふくいん)してきた時
なんですけどね、あのお、色々海軍でも辛いことがあったで
しょ、帰ってきたい気持ちになったでしょって聞きました時に、いいえ、死にたかったっていいまし て、その言葉を聞いていかに、はあ年若いね、新兵さんが苦労したことをね、一体この戦争はなんであったのかと憤りを覚えたことを覚えていますね。はい。
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杉森:はい。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。
秋本:なんにも出来ませんで失礼いたしました。